今は出口が見えなくても

中学3年生から高校卒業まで指導していた、男子生徒の奮闘ぶりを、今でも忘れることはできません。

 彼はとある中堅私立中学生でした。男子校です。小学生のとき、私立中学を受験し合格した学校に通っていました。クラス編成は、上から「医学部進学コース」「国公立大学受験コース」「中堅以上難関私立大学コース」と大まかにいえばそんな編成で、その一番下のクラスにいました。

 学校内は当時いじめが蔓延し、ニュースにもとりあげられるほどで、学校の運営方針もずさんな印象をうけ、親子ともに「学校を間違ったかもしれない」と嘆いておられました。

 真面目すぎるほど真面目な生徒さんで、中間・期末試験に無理矢理合わせようとする教師に、さんざん振り回されており、私がはじめて体験授業に伺った時には、クラスでも下から5番目くらいの位置でした。もちろん、真面目で、ゆっくりペースで考えるお子さんだったのもその主たる要因だったことは確かでした。

 私は理数科目を指導、もう一人の教師が英語など文系科目を担当し、ほぼ毎日のように家庭教師をスタートすることになるのですが、いきなり次の定期考査でクラス1番を獲得、その後その地位を一度も譲り渡すことはありませんでした。

 志望を国公立の理系学部とさだめて、見事その希望をかなえてくれました。

 そのお子さんが時々口にしていた言葉を今でも忘れられません。

 「中学生の時は、こんな無駄な努力をして、何の成果もなかったらどうしよう、とばっかり考え、何事も中途半端に途中で投げ出していた。でも僕のようなマイペースで不器用な人間は、馬鹿正直と言われても、先に出口があることを信じて、あがくしかないですよね」

 そんな内容のことでしたが、私から見ればそんなものの考え方ができている時点でこのお子さんは勝利していると思えました。正しい道を自ら選んで歩いていたんだと。

 今その生徒さんは、夢だった大学での物理の研究で忙しくしています。