進むべき道が見えてくると、がぜん勇気が湧いてくる

難しく考えてはいけない

 成績を上げたい。志望校に合格したい。なりたい自分を実現したい。そうお考えの方がこの記事をお読みになってらっしゃると思います。人は「双曲割引」といった厄介な特性を持ち、そのことで、今すぐ手に入る娯楽を優先させたり、面倒な作業を要することを後回しにしてしまう傾向があることを学んできました。

 まずはそうした特性を我々は宿命的に抱えていることを踏まえたうえで、あまりややこしいことを考えずに、シンプルに考えて行きましょう。答えは単純で明快ものに宿っているはずです。

 規則正しく生活できていれば、何とかなります。ごく当たり前の簡単なことを「真剣に」取り組めばいいのではないでしょうか。「いいかげんに」取り組む人と、「真剣に」取り組む人との差が将来、圧倒的な差を生むのではないでしょうか。

 我が子に勉強させたい親御様なら、繰り返し述べますが、「手伝ってでもいいから」適切な環境設定をしてあげてください。手本を見せて、自らが動いてください。その姿を子供に見せてあげてください。

 ご自身が勉強の仕方がわからなくて迷っているという方なら、就寝時間と起床時間を厳格に守って、生活態度から改めてください。必ず変化が起きます。半年後には明らかに成果を実感できています。「これだ!」という勉強法が身についている自分がそこにはあるはずです。

人は希望の中にいてこそ前に進める

 哲学者のサルトルは、自分の中に「希望」を作り出せと言っています。人を取り巻くこの世はあまりにも混沌として思うようにいかず、常に不安にさいなまれ、時には絶望の淵に追いやられることもあるが、「希望」があれば前に進めると言っているのです。

 その「希望」は叶うか、叶わないかはあまり問題にしてはいけないと私は解釈しています。実際サルトルは自身の政治思想である社会主義が、ソ連の崩壊で見事に崩れ去っていく様をまざまざと見せつけられながら、死んでいくことになるからです。それでも、「希望」の中で生きろ、と言ったのです。

 なにも大げさなことを考えなくても、なんとなくその言葉の持つ意味がわかるような気がします。私は希望はなければ作ればいいと考えています。例えばこんなご相談をいただくことがあります。「起立性調節障害」という病気が原因で、学校にはほとんど通えず、日常生活もままならず、勉強どころではないお子さんを持った方からのご相談です。

 打つ手を全く見いだせないまま時間ばかりが過ぎて行き、気が付いた時には出席日数と学力が足りず、退学を余儀なくされてしまうタイムリミットが迫ってきているということです。完全にストップした状態から、まずは机に向かって少しでも勉強に手をつけさせたいので、理解のある家庭教師の先生はいないだろうか、そんなご相談です。

 簡単には答えの見つからないとても深刻な問題です。それでもこのサイトを見つけて、不登校で悩んでいる生徒や、何らかの問題を抱えて勉強がストップしてしまっている生徒を見てもらえる家庭教師がいるかもしれない、とかすかな「希望」にかけて、お電話いただくのです。

 うまくご縁ができて、そのご家庭に上がらせてもらい、我々教師が少しずつそうした生徒さんと交流を深めて行くことができれば、道が見えてくることがあるのです。家庭教師はいわば「外からの新鮮な空気」のような働きもあるように思います。実際に家族だけでなんとかしようともがいていた時には、家の中に暗くよどんだ空気が毎日漂っていたのが、少しずつ外からの空気が入るようになって、明るくなってきたとおっしゃっていただくことがあります。

 必死で「希望」を見つけましょう。方法はどこかに必ずあると信じましょう。そして一歩一歩前に進みましょう。進むべき道が見えてくると、雲が一気に晴れて光がさし、勇気が湧いてきます。いっしょに頑張りましょう。

 次回からはいよいよ実践編に入ります。ご期待ください。